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ヘルマン・ゲーリング
63 quotes
“「彼(ヒトラー)の姿を見、声を聞いた最初の瞬間から、私はぞっこん参ってしまった。」(1924年)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「私に良心などない。私の良心は、その名をアドルフ・ヒトラーという。」”
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“「恐ろしいことだ…。ヒトラーは気が狂った。」(1939年9月、ポーランド侵攻を起こして英仏と再度戦争状態になってしまったことについて。友人パウル・ピリ・ケルナーに語った言葉)”
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“「私も(ヒトラーに言うべきことを言うことを)ずいぶん努力してはいるのだが、ヒトラーの前に出るといつも、私はすっかりおじけづいてしまう…。」(ヒャルマル・シャハトに語った言葉)”
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“「1938年の自動車事故でヒトラーが死んでいたらずっとよかったんだが…。そうすれば偉大なドイツ人として最期を迎えられただろうに…。」(大戦末期、後妻エミーに漏らした言葉)”
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“「ヒトラーは死んだよ。エミー。これでもう私は最後まで忠実だったと彼に伝えることはできなくなったのだ。」(ヒトラーの自殺後、後妻エミーに漏らした言葉)”
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“「総統に対する私の敬愛の念をことさら強調したいわけではないんだが、総統が最後に私をどう処遇されたかはキミも知っての通りだ。だが、彼は死ぬ前の一年間ほど、すべてをヒムラーに任せっきりにしてしまったんだと私は考えているんだ。」(ニュルンベルク裁判の際、心理分析官グスタフ・ギルバートに対して)”
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“「ヒトラーが射殺命令を出したとは思っていませんよ。あの薄汚い豚野郎のボルマンの仕業なんです。妻が私に影響を与えられることは色々とあるだろうが、私の基本的な行動規範まではどうかね。何があっても私は変わらんよ。男の世界の話だからな。女にはわからんさ。」(「貴方の奥さんは娘エッダにまで射殺命令を出したヒトラーへ忠誠を誓うのを止めさせたいと言っていましたが。」と述べたギルバートに対して)”
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“「忠誠の誓いをたてたからには、それを破ることはできない。(中略)一度試してみたまえ。12年間皇太子の役を演じることを。常に王に忠誠を捧げ、王の進める政治活動の多くに同意できないままに、しかし反対することもできず、その状況から最善のことをしなければならないということを。」(グスタフ・ギルバートに語った言葉)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「たしかに、長い年月の間には、(ヒトラーの方針に)色々と承服できないこともあった。しかし1941年以降、ヒトラーには公の場以外ではほとんど会わなくなった。残虐行為があったとすれば、命じたのはヒムラーとゲッベルスに違いない。言っておくが、私は残虐行為が技術的に不可能だと思うし、可能だとしても、命じたのがヒトラーだとは思わない。ヒトラーの最期で一つだけ笑わせるのは、エヴァ・ブラウンとの感傷的な結婚式だ。御涙頂戴で芝居がかっており、いささかやり過ぎだ。あんなことは、やらずに済ませられただろうに。」(1946年5月27日、「ヒトラーに何か賛成できなかった点は?」という質問の答え)”
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“「ドイツ国民はヒトラーのことを『我が総統』と呼び、私のことは『ヘルマン』と呼んだ。私は常にヒトラーより国民の心に近かったのだが、ヒトラーは偉大な指導者であるから、私は全面的に彼の計画に賛同した。ヒトラーは偉大な男ではあるが、ゲッベルスのような一部の部下に裏切られて、しまいには本当の友と偽りの友の区別がつかなくなってしまった。このことを私はキミに、そして世界に知らせたい。」(1946年5月28日)”
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“「私はウィーン市に直言したい。今日ウィーン市はドイツ人の都市と呼ぶに値しない。三十万人のユダヤ人が住んでいる都市がどうしてドイツ人の都市と言えようか。この都市は経済並びに文化の面で重要なドイツとしての使命を負っている。我々はこの二つの分野において、ユダヤ人の手を借りることは許されないのだ。ユダヤ人は一つのことをはっきりと理解すべきである。それは国外に退去しなければならないということである。」(オーストリア併合後の1938年3月23日、ウィーンでの演説)”
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“「ドイツのユダヤ人全体には、醜悪な犯罪の罰として十億マルクの負担金が課される。遅滞があってはならない。ユダヤの豚どもに二度目の殺人(“一度目”はエルンスト・フォム・ラート殺害のこと)をやらせてはならない。私はふたたび断言する。ドイツには一人のユダヤ人もいてほしくないと!」(1938年11月12日、水晶の夜事件の事件処理のための会議の席上での発言)”
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“「私としては貴重な品物を壊されるぐらいなら、ユダヤ人を200人ほど殺してくれた方が良かったのだが。」(同上)”
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“「先の1939年1月24日の指令で貴官に、移住と疎開という形で、時局に即した最も有利なユダヤ人問題の解決を図る任務をゆだねたが、これに追加して、私はここにヨーロッパのドイツ勢力圏におけるユダヤ人問題の全体的解決のため、必要なあらゆる組織的・実際的・物質的準備を行うことを、貴官に委任する。他の行政機関の権限に触れるときには、これらと協議しなければならない。さらに貴官に対して、ユダヤ人問題の最終解決を実行するための組織的・実際的・物質的措置に関する全体的計画を、早急に私のところに送るよう要請する。」(1941年7月31日、ラインハルト・ハイドリヒに「ユダヤ人問題の最終的解決」を委任した文書の文章。ハイドリヒがユダヤ人絶滅にリーダーシップを取る根拠となった。ただしこの文書の文言はハイドリヒの国家保安本部で作成され、ゲーリングは署名しただけであるという。)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「ドイツ支配地域にユダヤ人がもはや居場所を見出してはならない。」(1941年8月)”
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“「ユダヤ人大虐殺について、私は実際に何も知らなかった。1943年以降、ユダヤ人に多くの犠牲者が出たことは報告されたが、私は報告者にあまり外国のプロパガンダ報道を聞くなと注意していた。200人とか2000人が殺されたという報道なら、私も場合によっては信じたかもしれない。だが数百万人が殺されたなどという報道は、私には全くあり得ないことのように思えた。」(1946年1月、ニュルンベルク裁判での拘禁中に)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「その演説(ニュルンベルク裁判で取り上げられたゲーリングの反ユダヤ演説)をしたのはゲッベルスと会話した後のことだ。閣僚が7、8人いる中でゲッベルスがヒトラーにあの男はユダヤ人をかばっていると讒言して私を挑発してきたのだ。その後私は様々な反ユダヤ計画を実行するよう命じられた。私の演説はそういう流れで出てきたものだ。それに法廷で読み上げられる箇所は私にとって不利なものだけだ。良い個所はすべて削除されていた。たとえば、ユダヤ人を餓死させるわけにはいかないと言ってる部分だ。この部分は法廷で読み上げられなかった。漠然とした反ユダヤ感情は全ドイツ国民が持たねばならなかった。ヒトラーの命令だった。」(1946年5月24日、法廷で取り上げられた反ユダヤ演説について聞かれて)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「1933年以前ユダヤ人にも非難されるべき点があった。一例をあげれば彼らは私個人に対してかなり無礼な言葉を使った。私の演説などユダヤ人が我々について言った言葉に比べればおとなしいものだ。連中はとてつもない嘘を吐き、汚い言葉を吐き、他人を誹謗中傷する。最初私はユダヤ系の新聞に書かれていた反ナチ運動を深刻には受け止めていなかったが、その運動が拡大して過激になっていくのを見て、こちらも対抗してそれまでより激しい表現を使うことを余儀なくされたのだ。しかし人を拷問するとか、絶滅させるとかは私の性に合わない。」(1946年5月24日)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「私が反ユダヤ主義者だったことは一度もない。私の人生は反ユダヤ主義とは無縁だ。ナチ党が反ユダヤ主義だけの政党だったら、私は関心を持たなかっただろう。私がナチ党に惹かれたのは、強大なドイツを作り、ヴェルサイユ条約を打破するという主張だ。もちろん入党すれば、反ユダヤ主義も含めて党の綱領すべてに従わねばならなかった。なぜ私が反ユダヤ主義に反対しなかったのか、その答えは単純ではない。当時のドイツでは一般に、ヒトラーが成功するためには反ユダヤ的綱領を遂行する必要があると考えられていたからだ。ただ彼があれほど稚拙に反ユダヤ主義を遂行しなければ、我々の外交政策の多くはもっと成功していただろう。それは私も認めよう。彼にはこのことをたびたび注意した。こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるのは分かっている。反ユダヤ主義演説を行い、500万人のユダヤ人を虐殺した政権のナンバーツーが、どうして今になって自分は反ユダヤ主義者ではないなどと言えるのか、と。だが、これは本当のことだ。私だったらあのような政策はとらず、もっと穏便だったはずだ。このことの証明書類が二つある。しかしその書類を法廷に持ち込んでも、取り立てて効果はないだろう。検察側の手元には、反ユダヤ主義と解釈できる文書がいくらでもあるのだから。」(1946年5月24日)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「ヒトラーは天才で、強い性格だったにもかかわらず、暗示にかかりやすかった。ゲッベルスとヒムラーはそこに付け込んで、何百万人もの人を殺戮するためのガス室などという馬鹿げた計画を進めさせたに違いない。一つの人種を絶滅させることに、良心の痛みを感じないとしても、国内外から多くの批判を集めることぐらいは分かるだろうに。私は自分をモラリストだとは思わないが、騎士道精神は持っているつもりだ。ユダヤ人を殺して戦争に勝てるなら私はあまり思い悩まないだろう。だが、あれは本当に無意味だし、誰の利益にもならず、ただドイツの名を汚しただけだ。女性や子供の殺害は紳士のやることではないと思う。彼らはたまたまゲッベルスのヒステリックなプロパガンダの犠牲になっただけなのだ。私は死後に天国に行くとも地獄に行くとも思っていない。敬虔な者が信じているような事を私は信じない。だが、私は女性を尊敬しているし、子供の殺害はスポーツマンらしくないと思う。これが私がユダヤ人虐殺について思い悩んでいることだ。」(1946年5月28日)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「私が威張り散らすのも、一生懸命働くのも、壮大なものにとり憑かれたようになっているのも、みんな根は一つなんだ。カリンが私のために捨てた生活を、彼女に取り戻してもらおうと、私は決意していたんだ。」(1931年に最初の妻カリンが死去した際に涙ながらに姪に語った言葉)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「警察は国家に敵対する組織の活動に対し、もっとも痛烈な手段を持って戦い、必要とあれば、躊躇なくピストルを使用する。現在、警察官のピストルから発射される弾丸は、どれも私の弾丸だ。」(1933年3月5日、プロイセン州警察のナチ化を完成させたことへの意気込み)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「私は名目上、航空委員長だが、実際には戦後最初の航空相なのだ。私は1918年に(リヒトーホーフェン大隊の)みんなと別れた時の約束を必ず実行してみせる。ドイツ空軍を再び持つのだ。今のところはまだ軍用機は駄目だ。理由は分かっているだろう。ヴェルサイユ条約が今でも効力を有しているからだ。しかし総統があの条約を破棄する政治的な準備ができ次第、私は用意を整えておきたいのだ。私には一緒に仕事をしてくれる信頼のおける友人が必要だ。もう一度私の副官となってくれないか?」(リヒトーホーフェン大隊でゲーリングの副官を務めていたカール・ボーデンシャッツを1933年に、副官に改めて勧誘した時の言葉。ボーデンシャッツはこの言葉に感動し、即座に承諾した。)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「国民の自由を達成し、国家の力を確保するためなら、多少の快適さをあきらめてもたいして大きな犠牲ではない。軍備を増強すればするほど、我々の安全は保障され、攻撃される可能性も減少する。総統はじめ我々指導者は自分でできないことをあなたがた国民に要求したりはしない。脂肪の取りすぎは、太りすぎの腹を作る。私自身バターの量を減らして10キロやせた。」(1935年)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「航空省で誰がユダヤ人かは私が決める。」(1933年。ユダヤ人とのうわさがあった部下エアハルト・ミルヒをかばった言葉)”
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“「もし敵の爆撃機がドイツの国境を超えるような事があれば、私のことを『ヘルマン(旦那)』ではなく『丁稚小僧』と呼んでくれ。」(ルール地方とライン地方を視察した際に)”
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“「この戦争が終わって、ドイツが1933年の国境線を維持できていれば、我々は喜ばねばならないだろう…。」(1942年終わり。この頃にはドイツの敗戦を予期していたと思われる)”
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“「我が総統!スターリングラードの第6軍に対する空輸作戦は、私が個人的に保証いたします。信用下さって結構です。」(1942年11月)”
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“「ドイツ人は一人なら、立派な人間だ。ところが二人寄ると同盟 (bund) を作り、三人寄れば戦争を始める。イギリス人は一人なら阿呆な人間だ。二人寄るとクラブを作り、三人寄れば帝国を作り上げる。イタリア人は一人ならテノールだ。二人寄ると二重奏をはじめ、三人寄れば退却する。日本人についていえば、一人の日本人は神秘だ。二人寄っても神秘だし、三人寄っても…やっぱり日本人は神秘そのものだ!」(1945年10月29日、ニュルンベルク裁判での拘禁中にアメリカ軍精神分析官ダグラス・ケリー少佐に)”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「他国には独立国の政府を裁く権利はないと思う。しかも被告は寄せ集めの、政権の代表とは言えない者ばかりだ。私が初めて聞いたような取るに足らない者までいる。ドイツを動かしていたナチの大物の中に私を含めたのは正しいと認めよう。しかしなぜフリッチェがいるのだ? 彼は宣伝省内に何人もいた局長の一人に過ぎない。それに何の罪も犯していないフンクのような者まで含まれている。彼は命令に従っただけであり、命令を下したのはこの私だ。さらにはカイテルも裁判を受けている。彼は陸軍元帥と呼ばれているが、ヒトラーの命令には何でも従う小物に過ぎない。被告の中で裁判にかけられるに値する大物がいるとすれば、私、シャハト、それからヒトラーの非力な追随者に過ぎないが、たぶんリッベントロップ、またニュルンベルク法を提案したフリックぐらいだ。ひょっとすると他の数名、たとえばローゼンベルクとザイス=インクヴァルトも含めてもよいかもしれない。残りは全て手下であって自分の意思で行動することなどなかった。参謀本部の起訴もお笑い草だ。あの軍人たちは戦争遂行の謀議に加わっておらずドイツ軍人なら誰でもそうするように命令に従っただけだ。謀議が存在したとすれば、それに関与したのはすでに死んだり行方不明になった者たちばかりだ。ヒムラー、ゲッベルス、ボルマン、それからもちろんヒトラーだ。私は常々ボルマンを粗野なやくざ者と思っていたし、ヒムラーも信用したことがない。私なら二人とも解雇していただろう。”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“――判決が出るまでたっぷり話す時間がありますな”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に曝したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。それは分かっている。しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。」”
ヘルマン・ゲーリング (1893–1946) said by 1946 at the latest wikiquote:ja, CC BY-SA 4.0 source
“「いったん政権についてからはいかなる状況の下でもこの政権を守り通そうと決意しました。選挙や議会内で多数を占められるか、などにいちいち左右されたくなかったのです。」(裁判において)”
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“「ある人種が他の人種に対して支配民族と自称する事に対し、私が同意を表明したことは一度もありません。そうではなくて、私は人種の相違を強調しただけです。」(裁判において)”
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“「人は誰でも死ななければならない。だが殉教者として死ぬということは不死になるということだ。キミたちは我らの遺骨を、いつの日か大理石の柩に納めることになるだろう。」(通訳の一人に対して)”
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“「私には、アメリカ合衆国が自らの戦時動員計画を事前に出版したという記憶はありませんね。」(法廷で、主任検事ロバート・ジャクソンの尋問「ラインラントの再武装計画を外国に隠していたのではないか」に対して。この供述にジャクソンは激しく狼狽した)”
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“――ドイツ軍は交戦規定を守っていたか”
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“「検察側は、上位者への黙従を強制する階層構造が、アウシュヴィッツやマウトハウゼンなどの絶滅収容所を産み出したと主張しています。しかし『指導者原理(フューラープリンツイプ)』は手堅い管理手法であるに過ぎません。権限は上から下へ渡され、責任は下から上へと至るのです。こうした考え方はナチ党だけのものでしょうか。同様の例を挙げたいと思います。指導者原理は、カトリック教会とソ連政府が基盤においている原則と同じものなのであります。」(裁判で。ゲーリングはこの供述と共にソ連検察の方を向いてうなずいた)”
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“「ドイツ国家元帥が絞首刑になるわけにはいかない。そんなことはドイツの為に許すことは出来ない。故に私は偉大なるカルタゴの勇将ハンニバルのやり方で、死を選ぶ。(中略)私の身体検査にあたった者を責めるべきではない。なぜならカプセルは事実上発見不可能だったからだ。もし発見されたとしてもそれは単なる偶然だっただろう。追伸、ギルバート博士こそ処刑方法を銃殺刑にしてくれという私の嘆願が却下されたとわざわざ伝えに来てくれた人である」(遺書より)”
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“「この子は将来偉大な人物か大犯罪者になるだろう。」(少年期のヘルマンについて。母フランツィスカ)”
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“「ゲーリングは模範的な生徒である。そして彼は将来を大いに期待させる素質を発展させている。彼は危険を冒す事を恐れない。」(カールスルーエ幼年士官学校の最後の成績表に書かれている記述)”
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“「ヘルマンについて確実に言えることが一つある。一度彼が自分のヒーローを選んだら、どのような逆境にあろうとも、そのヒーローを支持することだ。」(ヘルマン・フォン・エーペンシュタインの名付け子ハンス・ティリング教授)”
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“「初めて見たときから私は彼が好きになった。そうなるのは難しいことではなかった。彼が子供には慣れていないことはすぐにわかったし、初め彼は遠慮がちだった。しかし彼は(当時子供だった)私を他の大人と同じように一人前に扱ってくれ、私がしゃべっている間も真剣に耳を傾けてくれた。彼は私たちを大いに笑わせ、ことに飛行機での冒険をふざけて語るときにはそれが著しかった事を覚えている。私には父が彼をすっかり気に入ってしまったことが分かった。母はどうかと言うと彼女は片時も彼から目を離さないことが分かった。当時私はその事を言葉で表現できなかったが、彼女が彼を愛していることを感じとっていた。」(ゲーリングの前妻カリンの子トーマス・フォン・カンツォフ)”
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“「すばらしい!勲功章(プール・ル・メリット勲章)を受章した戦場の英雄とは。想像してみたまえ!これ以上はないほどの宣伝だ!そのうえ彼は金持ちで、私には一文の金の心配も無くなるのだ。」(アドルフ・ヒトラー。1922年。ゲーリングに初めて出会った際に語った言葉)”
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“「ゲーリングと話をしていると温泉につかっているような気分になる。その後には元気回復だ。彼は物事を伝える際に、心躍らせる方法を心得ているのだ。」(1940年、ヒトラー。アルベルト・シュペーアに対して語った言葉)”
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“「ゲーリング! 空軍は何の役にも立たん。貴官の責任だ。貴官が怠けているからだ!」(1943年、ヒトラー)”
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“「私にはわかっていた。ゲーリングは信用できない。奴は空軍をめちゃくちゃにした。奴は腐っている。奴が率先して我が国を腐らせた。それに加えて奴は何年も前からモルヒネ中毒だ。私にはとっくにわかっていた。」(1945年、ゲーリングの『裏切り』に激怒したヒトラー)”
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“「ゲーリングと激しくやりあった。あの胸糞悪い男は、ますます党を分裂させていく。まったく頭に麦わらがつまっているように愚鈍だし、おまけにヒキガエルのように怠惰だ。奴はいままで他の人間を軽蔑的に扱っていた。昨日は私にまでそんな態度を取ろうとした。」(1929年のヨーゼフ・ゲッベルスの日記。)”
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“「最も厳しい戦いの最中に彼の手から愛する妻を引き裂かれた時、彼の表情は石となった。しかし彼は一瞬たりとも揺らぎはしなかった。真剣にしっかりと、総統の盾持ちである彼は自分の道をさらに進んだ。子供の心を持つこの断固たる兵士…。」(1933年1月29日付けのゲッベルスの日記。カリン死去後のゲーリングの働きについて)”
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